2012年3月23日 (金)

読書録.ver17 毎月新聞

毎月新聞  著)佐藤 雅彦

久しぶりに書くことにした。専門書でもないけど、かなり面白い(まだ読み切れていないから)。

佐藤雅彦はメディアクリエーターという謎の職業に就いている。
慶應義塾の教授を勤めていたこともあり、現在は東京芸大の教授であるようだ。
ピタゴラスイッチの監修者の一人でもある。

新聞と言っても、毎日新聞の中に月1回連載されたエッセイ集だ。
特に面白かったタイトルと、その一部とを引用させていただくことにする。
蛇足ながら、古本屋でこれを105円で手に入れることが出来たのは僥倖だった。

以下引用 改行は筆者
【基本は大人になってから】

「基本が大事」ということと「基本から教える」ということは単純にイコールではない。

-中略-

基礎こそ、それが基礎であるということがわかるくらいのハイレベルな理解が必要なのである。
小学校でも中学校でも、教わることは沢山ある。その上で、どれが基本的な考え方で
どれが末節な知識なのかという、ウェイト付けのような高度な知的作業は、
自分が小中学生だった時のことを思い出せば、無理なことがわかる。

-中略-

このように、『基本的なことが何故基本的なのか』が自らわかるのは、
一度いろんな事がわかった上での事である。

「基本が大事」なのはもちろんである。しかし同時に、基本を学ぶことは難しい。

-略-

 この記事にはドキリとした。
最近、心理臨床の世界での新人さんと話す機会があってその時の体験とリンクしたからだ。

 新人さんの事例を検討するという勉強会の中だったので、こちらとしてはなるべく
こちらの意図が伝わるように、基礎的なことに焦点化して、わかりやすく説明をしたつもりだった。
ただ、その説明が伝わっているようには感じなかった。
これは相手のバーバル、ノンバーバル、ボーカルな反応を見ての、こちら側の印象である。
そして、○年前には同じような立場にいた、自分の体験でもある。

 経験の無いことを想像する、考えるという作業は人間にとってかなり難しいことなのだろうと思った。
ある程度、自分の手足と頭で作業を進めてみて、
自分の責任で、立ち上がれる程度に痛い目を見るしかないのだろうな、
というのが今の自分にとっての結論で、それ以上よさげな考えが浮かばない現状だ。

そんな所に、この【基本は大人になってから】である。ぐうの音もでないほど、正論だと思ってしまった。

この辺の感覚から派生して、抱えるとか安全感とかそんなことにもちょっとだけ思いを馳せた。
まだ言葉にならないので、もう少し寝かせておくことにした。


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2011年5月10日 (火)

おやすみプンプン8巻

発売日から二ヶ月くらい遅れて購入した。
南条さんと三度目の出会いだ。
最初の出会いは2巻にある廃工場の場面だ。
小学生のプンプン達が出会ったブサイクな女子学生が多分、南条さんだ。

頭頂部から出血している所、スケッチブックを肌身離さず持っている所、父親との良くない関係を示唆している所から判断した。

二度目の出会いが、プンプンが高校生になった時だ。単行本でいえば6巻か?
で、この8巻が3度目だ。

この時期、異性との関係って大事だよね。
ただ、この先予想すると、プンプンは南条さんに都合のいいように使われて終わるだろうな、という予想。
まぁ、プンプンもかなり都合良く使っている感じがあるからお互い様なんだけどね。

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2011年4月18日 (月)

先生の先生の名言

学生時代に、とある教授が退官した。
その際に、なぜか手に入れたものがある。
その名もずばり「○先生名言集」。
退官記念に当時の院生が作ったのだろうと思うその冊子は全部で14ページ。
含蓄のある言葉だなぁと思うようになったのが、この数年。

スキャナを購入したこともあって、テキストで抜いてみた。
印刷物なのに意外と認識率が悪くて驚いたのだが、やはり漢字・カタカナ・ひらがな・英数字を使う日本語は
認識が相当難しいのだろうな。

せっかくスキャナで作業をしたので、ここにコピペしてみようと思う。

というわけで、以下引用

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2010年10月 9日 (土)

物欲が沸いてきた!

学生時代にpalmという物を使っていた。
いわば電子手帳で、タッチスクリーンとスタイラスによる簡便で素早い文字入力
素早い起動とフリーの様々なアプリケーションが魅力のPDAであった。

ところが簡便が売りであったはずのpalmないしPDAが肥大の一途をたどり
あたかもmobile PCのようになってしまったこともあり
手帳は無印良品のものを使用するようになっていた。

で、twitterをやっていてある日、ipod touchをtwitter専用機にする
という発言を目にした。

(1)そういえば、ipod touchとiphoneはあまり差がないらしい。
 iphoneは楽しそうだな、と思っていた。

(2)2台持つのは面倒だ。
 今の携帯を使いたいが、精々家族とのメールくらいである。

(3)新しいipodが欲しいなと思っていた。
 nanoを買おうかな、どうしようかな?と。

(4)職場の同僚が、自身の予定をipod touchで管理していた。

(5)当然ipod touchはタッチスクリーン

(6)フリック入力って日本語入力も携帯方式よりも簡便っぽい。

(1)~(6)より
「あれ?ipod touchってPDA+メディアプレイヤーとして使えるんじゃね?」

調べてみると、PDAとして、使いたい機能は大抵そろっている。

さらにwifiが使えるから、家では確実にネット環境を整えることが出来る。
上手く行けば、外出先でも遊べるかも。

子どもがいるから、デスクトップはさわれないが、ipod touchならごまかせるかも。
手の届かないところにおくことも容易だ。

仕事の情報も入れたいので、できればフォルダをパスワードロックしたい。
あれ?調べたら、可能じゃないか!

ここまで来たら、「もう、買うしかないんじゃね?」っていう結論に到った。

ということで、買うのです。今年のクリスマス辺りに。
新型が人柱様の貴い犠牲によりブラッシュアップされたあたりで。ニヤリ。

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2010年10月 3日 (日)

読書録ver.16 おやすみプンプン7巻

おやすみプンプン7巻
発売日をチェックしていたんだけども、近所の書店には置いてなかった。残念。

どうしようもないと思っていた母親は、最後に強烈な置きみやげを残していった。
悪役の意外な一面に直面化して、苦悩する正義の主人公のようだ。

最終回前のデビルマンこと不動明のような心境かもしれない。
デビルマンは全てを怒りに変えて、最後の戦いに望む訳だ。
悪魔の力を身につけていないプンプンにそんな爆発力はあるわけが無い。
当然だ。
だって、どこにでも居るはずの機能不全家族に育った少年だからだ。

どんどん鬱屈していくプンプンに、その鬱屈を昇華させる機会がやってくることになる。
この機会を生かすことが出来るのか?


「2年後になっても、このままだったら死のう」と主人公に決意させたのだから
クライマックスまで、お話の中で後2年ということになるだろう。

ペガサスさんも後2年でその時が来るって言ってた。
この辺はどういう伏線なんだろうか?

二十歳になったら、かなりの課題が片付きますなんてことはあり得ない。
だからきっちりと話を終わらせるなんてことはないだろう。
ぐだぐだな感じで終わるのも有りだと思う。

どんな終わらせ方になるんだろうか?
雑誌の方でこれまでになく、長期休載をしていたのは
最後まで練り上げる必要があったからに違いない!
と勝手に期待しておくことにする。

で、帯で紹介されていた、水川あさみって誰?

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2010年9月12日 (日)

このさいだから言っておく

炭酸水は飲み物として、大好きです。

ちょっと検索ワードを見てびっくりしてしまいました。
炭酸水で頭を洗うんですか……。
もったいない。
「炭酸水でキュウリが成長」とか
拙者の想像力の範囲を軽々と超えております。

私に取りましてあくまで、「炭酸水は飲み物」です。

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2010年8月 7日 (土)

夏なんだから、作ってみた

この連日猛暑で、身体もだるく、仕事も早上がりをしていた昨今。

週末に比較的まとまって寝たので、多少元気になったので、ちょっと頑張ってみた。

近所にJAのお店があり、野菜が安く売られている。
大体市価の3割程度安。これを使わない手はない。
ピーマンにオクラになすにトマトにタマネギ、これらを無水鍋に仕込んで弱火で煮込む。
別に炒めておいた鶏の挽肉を投入。
これを素(これはチビチビの離乳食として一部をキープ)にして、カレールーを投下。
粘度と塩気を参考に適当に水を足して、完成。
固めに炊いたごはんにかけていただくのです。
いやー、さっぱりしていて旨いです。
Photo



個人的には辛さが足りないので、ブレア社のサドンデスソースを小さじ1/2ほどで激辛に。
辛旨です。どうせ暑いんだから、汗をしっかりかいてしまえ!

で、さらにJAのお店で売っていた、キュウリの糠漬け。
Photo_2

これもまた良かった。
糠漬けらしく、しっかりと乳酸が効いている。スッパ旨。
しかも、たっぷり入っていてたった100円だった。これはもうリピーターになるしかない。

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2010年6月 7日 (月)

なかなか更新できず

という記事を書いてしまうくらい、更新していない。

新年度が始まり、とある本を読み始めているが、なかなか読み進まない。
要因の一つに「重さ」がある。当然、物理的な重さだ。

今読んでいるのは下記。
ナンシー・マックウィリアムズ著/成田善弘監訳/北村婦美、神谷栄治訳
 パーソナリティ障害の診断と治療

なかなか重厚な本なので、カバンに入れる決心に時間がかかる
また、昨今の疲れからか、開くと寝てしまうのだ。
通勤時間は、貴重な読書時間なんだけどなぁ……。

ということで、読み終わったら、またレビュー記事書きます。

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2010年5月 6日 (木)

読書録.ver15

久しぶりに、更新。
3月~4月がかなりの勢いで去っていった。
その中で読んだのがこの2冊。

村瀬 嘉代子 (著), 青木 省三 (著) 心理療法とは何か―生きられた時間を求めて 金剛出版
青木 省三 (著) 思春期の心の臨床―面接の基本とすすめ方 金剛出版

どちらも良い本だ。
何が良いかというのも色々あるだろうから、記憶している限り言葉にしてみよう。
それがこのブログの目的であるのだ。

「心理療法とは何か」から、いってみよう。
この本では村瀬氏の言葉が突き刺さった。
うろ覚えなので、私の記憶の中で改変されていることだと思う。
是非確かめていただいて、私の記憶の改変に、ほくそ笑んでいただきたい。

“セラピーの中だけ見て、それはそれは素晴らしい展開をされていたのですけども
 現実はどうだったのでしょうか?この方が来て、ほんの一つでも良いのです。
 現実世界で楽になるようなことがあったのでしょうか?”

見えぬモノを想像し、尋ね、聴くのは、現実世界で生きやすくなってもらうためである。
週1回セラピーにこられたとして、残りの6日と23時間の方が大事なのだ。
あまりに当たり前すぎて、なんか言葉にすると、違和感を覚えるのだが
実際にやってみると、その1時間があまりにもクロースアップされて、視野狭窄に陥りがちなのだ。
というわけで、これは座右の銘とする。

次は「思春期の心の臨床」だ。
これもまたうろ覚えで申し訳ないのだが
 “如何に安全に暗部を作るか”という内容だ。

 安全な暗部という表現は物騒だが、「大人から見えない自分を作る・出す場所」ということだ。
 そうだ、【たまり場】といえば良いのだ。
 近所のお好み焼きやとか、面倒見の良いおばちゃんがいて……とかそういうシチュエーションだ。

これまた、当たり前のように感じるのだが、管理者側に回ってみると、その状況が怖いのなんのって。
下手すりゃイジメや不法行為がその場で起こりうる(という妄想や危惧を抱くのだ)。

これは、大人達(管理者側ね)の器というか枠というか、そういう意識・不安を
大人達が如何に抱え続けられるか、という課題に他ならない。
自分たちもそういった場を使って成長してきたのだ。

どうしてかは解らんけど、自分たちは良かったけど、お前達はだめ、と言いたくなる自分がいるのだ。
不思議なもんです。

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2010年3月 3日 (水)

続・本棚を見てみると

「ラ・ロシュフコー箴言集」 岩波文庫読了。

いや~10年経つと、それなりに読めるようになるもんだと、驚いた。
昔はほとんど読めなかったんだけどね。

そこで、気に入った箴言を羅列しておくことにする。

以下、上記の文庫より、引用。

自分の内にやすらぎを見いだせないときは、外にそれを求めても無駄である。

誰もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。

われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。

運命によってわれわれに起きる全てのことに、われわれの気質が値段をつける。

人から受ける強制は、多くの場合、自分自身に加える強制よりも辛くない。

他人に理を見いだそうと思わなくなるときは、すでに自分にも理はない

およそ忠告ほど人が気前よく与えるものはない

仕合わせな人々の慎ましさは、幸運が彼らの気質に与える穏やかさから来る。

自分の秘密を、自分自身が守れないのに、相手に守ってくれなどと、どうして言えよう?

自分の過ちが自分だけにしか知られていない時は、われわれは容易にそれを忘れてしまう。

われわれが不信を抱いていれば、相手がわれわれを騙すのは正当なことになる。

恋の病は先に治るほうが良く治るときまっている。

われわれの妬みは、われわれが妬む相手の幸福よりも必ず長続きする。

同じ頭を使うなら、この先身に降りかかるかもしれない不幸を案ずるのに使うより、
現にわが身に降りかかっている不幸に耐えるために使う方がよい。

気前の良さと呼ばれるものは、おおむね、与えてやるのだという虚栄心にすぎず、
われわれにはこのほうが与える物より大切なのである。

精神の狭小は頑迷をもたらす。そしてわれわれは自分の理解を超えることを容易に信じない

われわれは相手にうんざりしても、その人を大目に見てやることが多いが、
われわれにうんざりするような相手は、容赦できない。

あの男は恩知らずだ。ただし彼の忘恩は、彼が悪いと言うよりも、
むしろ彼に恩恵を施した男の方に罪がある。

年寄りは、悪い手本を示すことが出来なくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。

もし自分に傲慢さが少しでもなければ、われわれは他人の傲慢を責めはしないだろう。

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